2012年 冬の北海道旅行 その4 [北海道旅行]
今日は、阪神淡路大震災(平成7年兵庫県南部地震)から20年の節目の日です。
私も、5:30に起きてテレビをつけ、地震発生時刻の5:46には黙祷をしました。
それでは前の記事の続きです。
五稜郭を後にして向かったのはJR函館駅です。
2011年のツーリングでは「素通り」しましたが、「本来の目的」で駅を利用したのは2005年5月以来です。
その前に利用したのは2003年2月でしたが、その時は旧駅舎から写真にある現駅舎への建て替えが追い込みに入っている時でした。
さらにその前となりますと、1993年6月に車で北海道をドライブした時に「駅前で車中泊」がありますが、列車の利用としては1988年9月(北海道への上陸)と1989年4月(北海道から帰路につく時)になります。
駅前には、一際目を引く真っ赤な彫刻(オブジェ)があります。
もっと近付いて撮影しました。
この彫刻は林昌平制作の「OYAKO」だそうで「ZASETSU(挫折)」ではありません。
その銘板(内側にあります)です。
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函館駅は後で利用したのですが、そこからすぐのところにある「函館市青函連絡船記念館摩周丸」(リンク=以下「摩周丸」)へ行きました。その全景です。
摩周丸のエンブレムです。後の方に写真を貼ってありますが、青函連絡船のシンボルマークは船名を象徴する景色や建物(この場合は「摩周湖」)と、津軽海峡にいるイルカを組み合わせたデザインです。
摩周丸のファンネルマークです。1988年3月13日に廃止される直前の約1年間は、これが「JR」になっていました(色は、JR北海道の萌黄色)。
この摩周丸は近代化産業遺産に登録されています。その記念エンブレムです。
近代化産業遺産の登録プレートです。
さらに、機械遺産にも認定されています。その認定証です。
JR北海道と旧国鉄のJNRのロゴに補助汽船の錨です。
船内に通じる階段には、先程描いたイルカのイラストが描かれています。
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ここから船内の撮影になります。摩周丸の模型です。
左舷側からも撮影しました。奥の座席はグリーン指定席です。
この記事(リンク)でも書いていますが、一等船室にあった「飾り毛布(または『花毛布』)」です。
この毛布、おそらく「JNR」のロゴが入った当時のままの物だと思います。
これ以外にも、飾り毛布のミニチュアがありましたので撮影してきました。
まずは「松竹梅」です。
「菊水」です。
「初日の出」です。2枚上の「松竹梅」と共に、お正月の客室にはもってこいです。
「双子岩」です。
「ひまわり」です。夏場にはこれを用いたと思います。
「稲穂」です。これは秋口に折られたと思います。
「初日の出」その2です。先程とは微妙に折り方が違っています。
字がフラッシュの反射で読みにくいですが「かぶと」です。GW(端午の節句)に折ったのでしょうか?
「松竹梅」その2です。やはり、先程とは微妙に折り方が違います。
「水芭蕉」です。6月~7月の初夏の時期に折ったのではないかと思います。
ここから3種類の「花」が続きます。同じ「花」でも、折る人(折り方)によって、それぞれの個性が出てくると思います。
これらの折り方をまとめた本も出版されていまして、同じ題名でも折り方が違うことがよく分かります。
また、不定期ではありますが、かつて青函連絡船でこれらの毛布を実際に折った人が講師になって一般の人に「飾り毛布教室」を開いているみたいです。
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操舵室から見た函館山です。
スクリューとアンカーチェーンです。特にアンカーチェーンは、間近で見ますとその太さに驚かされます。
青函連絡船各船のシンボルマークです。現存しているのは、摩周丸と、青森にある八甲田丸だけになってしまいました。
二等客室です。これは、今の津軽海峡フェリーや他の客船でも変わっていません。
グリーン指定席(椅子席)です。時間帯によっては、先程の二等客室でゴロ寝した方が疲れが取れるのではないかと思います。
摩周丸の船尾です。かつては、この手前から函館駅とを結ぶ線路がありましたが、現在はこの一角だけを残して駐車場とかになっています。
かつて津軽海峡で活躍した津軽丸の大錨と北の大地を駆け抜けたD51の動輪です。
この日はここ以外にもまだまだ回りましたので、次回以降に続きます。
青函連絡船はずいぶんお世話になりました。
...が、もう、結構忘れているなあ、と感じます。
駅でのダッシュとか場所取りとか...
わたしはいつも大部屋の隅ねらいでした。
by ナツパパ (2015-01-17 10:51)
高校の修学旅行で2回、プライベートで1回乗りました。
プライベートの時は、夜東京発の急行八甲田~早朝連絡船でした。
夜行の硬い座席に座ったままで、しかも大学生のサークル?が
大騒ぎしていて眠かったのですが、2等がいっぱいで座る場所もないくらいだったので、ずっとベンチに座ってた記憶があり
ます(^_^;)
by でんさん (2015-01-17 19:46)
飾り毛布、こういうのをタオルでやってくれるホテルが海外などであるみたいですね。
ちょっとしたことですが楽しい気分で過ごせますね(#^.^#)
by アルマ (2015-01-17 22:35)
昔の出張は寝台車と連絡船だったので摩周丸には何度か乗りました。あの頃の船旅は楽しかったです。
by 旅爺さん (2015-01-18 20:45)
色々なところにオブジェがあるのはいいとして、どうしてこのオブジェが・・・という違和感たっぷりなものも少なくないですね。(^^;
by moonrabbit (2015-01-19 12:15)
>ナツパパさん
nice! とコメント、どうも有難うございます。
青函連絡船が廃止されてから四半世紀が経っていますから、記憶も薄れていくと思います。
私は青函連絡船に乗ったことはないのですが、二等客室ではやはり隅っこを狙いたいですね。
2012年の北海道ツーリングでは往復共に「さんふらわあ」を利用しましたが、こういう雑魚寝タイプの客室には予め寝具がセットされていてそれが早い者勝ちなのか指定されているのか分かりません。
しかも、青函連絡船みたいに4,5時間程度ならばまだしも、顔も名前も知らない人と19時間も一緒では落ち着いて眠れない上に何かと物騒ですので、カーテンで仕切れる(鍵はかかりません)2段ベッドの客室を選びました。
by 北海道大好き人間 (2015-01-20 18:23)
>でんさん さん
nice! とコメント、どうも有難うございます。
その「八甲田」も既に廃止され、間もなく「北斗星」も廃止されます(おそらく「カシオペア」も同じ運命を辿るでしょう)。
昔の映像を船内で見られるのですが、駅に着くと同時にダッシュをしていたり、夏休みには文字通り立錐の余地もないほど混んでいた様子が時代を感じさせます。
by 北海道大好き人間 (2015-01-20 18:28)
>アルマさん
nice! とコメント、どうも有難うございます。
飾り毛布、毛布なら何でもできるというものでもないらしく、純毛が一番だそうです。
同様に、タオルもピンキリですから、毛布と同じ様に折れるのかどうかとは思いますが、客室に入ったらベッドの上にこういう飾りがあると嬉しくなりますね。
by 北海道大好き人間 (2015-01-20 18:31)
>旅爺さん さん
nice! とコメント、どうも有難うございます。
連絡船はすでになく、寝台車(寝台特急)も、いわゆる「ブルートレイン」は間もなく日本の鉄路から消えます。
まあ、時間がかかる分、風情があったとは思いますね。
by 北海道大好き人間 (2015-01-20 18:33)
>moonrabbit さん
nice! とコメント、どうも有難うございます。
このオブジェ、見た目以上に目を引きます。
駅舎や周囲の風景になじむ彫刻やオブジェを設置すればいいのでしょうけれど、アクセントという意味ではこれも「あり」なのかと思います。
by 北海道大好き人間 (2015-01-20 18:37)
>ねじ巻き鳥さん
>ビタースイートさん
>tochi さん
>makimaki さん
>足立sunny さん
>ロスさん
nice! どうも有難うございます。
by 北海道大好き人間 (2015-01-20 18:40)
>エビフライさん
初めまして、nice! どうも有難うございます。
by 北海道大好き人間 (2015-01-20 18:40)
>suzuran6 さん
>リックさん
>モッズパンツさん
nice! どうも有難うございます。
by 北海道大好き人間 (2015-02-04 19:22)
青函連絡船とてーも懐かしいです。いつかまた摩周丸に会いに行って来ます。w (^ー^)ノシ
by モッズパンツ (2015-03-15 21:08)
>モッズパンツさん
nice! とコメント、どうも有難うございます。
津軽海峡の交通も、このおよそ四半世紀の間に大きく変わりましたね。
青函連絡船として現存するのはここと八甲田丸だけになってしまったので、是非とも後世まで残して欲しいと思います。
by 北海道大好き人間 (2015-03-15 21:29)