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あれから12年が経ちました。 [東日本大震災]

こんにちは、北海道大好き人間です。

今日は、日本人であれば決して忘れてはならない東日本大震災(平成23年(2011年)東北地方太平洋沖地震=以下『震災』と表記いたします)から満12年です。
毎年撮影しています、市内で掲げられた半旗・弔旗の写真ですが、この記事(←リンク)にもあります様に、Googleフォト(タグ)をここに埋め込むことで写真が表示される連携機能が停止されていますので、リンクを貼る形となります。

富士吉田市役所に掲げられた半旗です。
https://photos.app.goo.gl/N4D9mVuesoXbGmGM7

山梨信用金庫富士吉田支店に掲げられた弔旗です。
https://photos.app.goo.gl/z4QoMurVLGxyZmmQ7

昨年夏に移転した、富士五湖消防本部に掲げられた半旗です。非常にわかりにくいですが、「WORKMAN」の看板の左側、消防車両の車庫の上、屋上にある四角い屋根のところにポールがあり、そこに半旗が掲げられています。
https://photos.app.goo.gl/zhJofKh44GghUNyt6

富士吉田警察署に掲げられた半旗です。
https://photos.app.goo.gl/mvnd5t5kJdkHEZkRA

今年は、「3.11」が土曜日であったことから、市内にある官公庁や金融機関、学校の多くが半旗・弔旗を掲揚していませんでした(全部まわったわけではありませんので、あくまで推測です)。自宅ではラジオの特別番組を聴いていましたが、この4月から、小学生以下の子供は全員があの震災を知らない世代になるとのことです。さらには、1995年1月17日に発生した阪神・淡路大震災以降に生まれた世代が「親」になり始めています。

その特別番組に送ったメールの一部をここに掲載します。
今年は東日本大震災から12年ですが、と共に関東大震災から100年にもなります。
我々が小学生だったおよそ半世紀前(1970年代)は、先の大戦は勿論のこと、その関東大震災を実際に経験した校長や教頭がいました(とは言っても、年齢的に記憶が薄い幼児~小学生時代のことになるのですが)。
ですから、避難訓練での話にはリアリティーもありましたが、当時の我々には理解しがたい部分もありました。
それ以外にも、関東大震災を【大人】として経験した祖父母の世代(その多くが明治生まれ)が多数健在でした。

さて、東日本大震災や、今後発生するであろう大規模な自然災害・事故等を後世に伝えていくツールとして、最も威力を発揮しそうなのは【映像と音声】ではないかと思います。
実際、関東大震災(1923年9月1日発生)当時は、まだテレビ局は勿論、ラジオ局すら開局していない時代ですから(参考:NHKラジオ第一放送の開局は1925年7月12日)、映像も音声も殆ど残されていません(同じことは、第二次世界大戦にも言えそうですが)。
とは言うものの、東日本大震災に於ける津波の映像では、あまりにもショッキングなものも多数あります。それらを、今の時点で12歳以下の児童にそのまま見せていいのだろうか?という意見も出てきそうです。
しかし、言い伝えよりも、ハッキリとした映像や音声は、「2011年の3月11日には、こんな事が日本で起きていたのだ」という強い印象を何時までも与え続けると思います。
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lamer

お元気ですか。
15年前の小説「イメージ」を書き直しています。
良かったらお出かけください。
by lamer (2023-06-16 18:04)