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我が街の新しい重要文化財について [富士山]

今年の6月20日に我が街に新たな重要文化財が増えました。今回はその物件(旧外川(とがわ)家住宅)を紹介いたします。
文化庁の国指定文化財等データベースのリンク
http://www.bunka.go.jp/bsys/index.asp

旧外川家住宅のリンク
http://www.fy-museum.jp/forms/info/info.aspx?info_id=5898

ここに貼ってある殆どの写真をクリックするとPicasaのリンクへ飛び、そこにGoogleマップが表示されるのですが、吉田の火祭りが行われる国道139号線(本町通り)から少し奥まった場所に、この建造物があります。
8月末まで、重要文化財指定記念として、富士吉田市民は免許証等、住所が証明できるものを提示することによって入館無料(通常でも大人は100円ですが)になりましたので、私も取材に行ってきました。
この住宅は「御師(おし)の家」と言い、富士山へ登るためにやってくる登山客、その中でも特に宗教的意味合いが強い富士講の信者を泊めるための宿泊施設でした(お寺で言えば「宿坊」に相当します)。ですが、今では後継者が別の職業に就いたり、富士講も自動車等で富士登山をするので、そういう家は殆どなくなってしまいました。

前置きが長くなりましたが、本題に入ります。中門から玄関を望みました。

中門の脇に設置されているこの建物の案内看板です。周囲の景観に調和する様に地味な配色となっています。
 
入館の時にもらったパンフレットです。ここの入館券を持参すれば、ここから離れた場所にある歴史民俗博物館や富士山レーダードーム館の入館料も割引になります。

裏面です。

この先、毎回恒例の大量に画像を貼るわけですが、この間取図を拡大しておきますので、あわせて御覧下さい。


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画像があまりに多いので、テーマ別に分けて紹介します。
まずは、座敷の画像から。この画像は「中の間」です。

裏座敷(奥座敷)の広間です。

最も格式が高い「上段の間」です。他の座敷よりも一段高い床になっています。

床の間です。長押の中央にあるのは、富士講の講社の講印を表した釘隠しです。

主屋(おもや)には天井がなく梁がむき出しになっている場所があり、そこには、すっかり煤けた棟札が打ち付けられています(下の画像)。


風呂場です。壁や床のタイル、水道の蛇口は、もっと後の時代に施工されたものだと思います。その前は薪で沸かす風呂だったと考えられます。

なお、トイレは近代的なものに取り替えられていましたが、それも男性用のみです。
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次に、木版を紹介します。おそらく、後で紹介しますが、富士講の講者が着る装束の背中に押したのではないかと思います。
最初は冨士浅間大神の木版と、実際に印刷したものです。以下、原版と印刷物の順に画像を貼ります。


原版の右下にある説明を撮影してこなかったので不確かですが、おそらく、富士山信仰にとって重要な人物である身禄(みろく)上人の木版だと思います。


さて、富士山では、この記事(←リンク)で書いている様に、60年に1度の庚申の年を「御縁年」として、非常に大切にしています。その木版です。


冨士山の木版です。神仏混淆の時代でしたので、富士山は「神様」なのに、何故か仏様やハスの花の絵が彫られています。


これらの木版、今みたいに活版印刷ではありませんから、文字等を逆に彫ってしまったら、最初から彫り直しです。
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次に、宗教的な物を紹介します。先程紹介した「上段の間」のすぐ隣には、「御神前」の間があり、立派な祭壇が作り付けられています。右隣に隣接している上段の間との間に段差があることもお分かりいただけると思います。

当主の家族が使っていた居間の神棚です。

家によってまちまちでしょうが、この家では家族が亡くなったら仏式ではなく、神式の葬儀を行ったみたいです。よって、仏壇ではなく神徒壇がありますが、墓地はお寺の墓地の一角にまとめてある場合もあれば、あちこちに点在している場合もあります。神徒のお墓は、「何々家之奥都城(おくつき)」という石塔がありますので、すぐに分かります。

身禄上人の木像です。



御神符(お守りみたいな物)です。

富士講の講者が着ていた装束です。今でも、6月30日の開山祭や8月26日の吉田の火祭りで見かけますが、以前よりずっと少なくなっていることだけは確かです。

先程、庚申の年は御縁年と書きましたが、それから12年後の申年・壬申の年は「小縁年」と言います。
これは、前回(1992年)の小縁年の時に作られた日本手ぬぐいです。

同じく、その年の絵馬です。

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次に、調度品について紹介します。
まずはラジオです。テレビなんてなかった時代ですから、これを聞くことが唯一の娯楽だっただろうと思います。

籐でできた旅行カバンです。

銅壺(どうこ)です。説明文があるところに火を起こした炭を入れ、四隅の蓋がしてある場所には徳利を入れて燗をつけることもできます。

いろりと鉄瓶です。

鏡台です。今の時代でも違和感なく使えると思います。

食器類です。お椀(煮物椀も含む)は当然のことながら、本塗りの漆器です。



上で貼った画像は夕食用の食器類です。朝食用は、これとは別にお茶碗もお椀も別のものがあります。


上の画像で「ユウガオの味噌汁」とありますが、これが何のことか分からない人が多いので、この夏に撮影してきました。よく、冬瓜と間違える人がいますが、冬瓜よりもっと長く(60cm以上)、皮の色は薄いのが特徴です。

上の画像では、本格的に棚を吊って栽培していますが、多くの農家では地面に這わせてしまうことが多く、日が当たる方は濃い黄緑色でも、地面の方は白に近い色をしています。因みに、この辺のスーパーでは、1本300~600円くらいで売っています。
ウチでは多い時には一夏に5,6本(!)ももらうことがあるのですが、全部刻んでビニール袋に密封して冷凍しておきます。そうしておけば、長期且つ大人数の泊まりの食事で夕食と朝食の両方に使えるのです(夕食では中華風スープ)。以前、泊まったお客さんが珍しがっていたので、その冷凍を1袋持たせたこともありますし、他のお客さんに切る前の状態で見せたこともあります。

さて、富士講の講社や(外国人の)宗教によっては、食事の内容に規律があるところもあります。例えば牛や豚みたいに「四つ足の動物」の肉はダメだとか、もっと極端になりますと、野菜のみということもあります。
そういうことにも可能な限り対応しますが、アレルギー物質の場合は、完全に除去(分離)できないこともあるので、お断りする場合もあります。

ウチでは、まとまった人数が泊まる時の朝食では、厚焼き卵を焼くことが多いです。下の画像は私が焼いた物ですが(親父に「もっと焼き目をつけろ」と言われました)、ここまで焼ける様になるまでには結構大変でした。
10年以上前、半年くらい泊まった大人数の長期滞在客の時には、毎週一定の曜日にはこれを焼きました。最初の頃は形が崩れたり真っ黒焦げになったりしましたが、今では何とか提供できる様になりました。よく、濡れ雑巾を使って巻き込む練習をしますが、私は実戦だけでそれを習得しました。
この1本が8人前ですが、ちらし寿司に使う時には、これから10~12人分取ることもあります。
以前は、冷凍のオムレツを蒸して出していましたが、それよりもずっと原価が安く且つ完食率が高いので、今ではこれが主流です。なお、味付けは関東風の甘口で、卵は向こう側から手前に巻き込みます(関西は、手前から向こうに巻き込むみたいです)。東京の築地市場では、1人で3本か4本同時に焼いていますが、見事なものです。
妹の子供の運動会(幼稚園と小学校のみ)では、ウチの両親も見に行くのですが、手ぶらで行くのも悪いですから、前日にこれを焼いて持って行かせます。

市内には、もう一軒、重要文化財に指定されている御師の家がありますが、そちらには当主とその家族が現在も住んでいますので、公開されていません。
モータリゼーションによって廃れてしまったこの地方独特の文化ですが、こうして国の保護を受けることになりました。富士吉田にお越しの際に立ち寄っていただければと思います。


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モッズパンツ

歴史のある建物ですね。年代物のお宝ラジオもカコイイです。w (^ω^)b
見事な卵焼きですね。素晴らしい。そういえば、確かテリー伊藤さんの実家が築地で卵焼き屋さんですね。w (´∀`)ノ

(^ー^)ノシ
by モッズパンツ (2011-11-10 23:35) 

北海道大好き人間

>ビタースイートさん
nice! どうも有難うございます。

by 北海道大好き人間 (2011-11-11 12:44) 

北海道大好き人間

>david さん
nice! どうも有難うございます。

by 北海道大好き人間 (2011-11-11 12:45) 

北海道大好き人間

>モッズパンツさん
nice! とコメント、どうも有難うございます。

表通りから奥まった場所にありますので、静寂の中で歴史的な重さを実感します。

仰るとおり、テリー伊藤の実家は築地の卵焼き屋さんで、店頭には「テリー伊藤の実家」という看板も出ています。
また、女性タレントの山岸舞彩の実家も築地の卵焼き屋さんで、テリー伊藤の実家とも近いです。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B1%B1%E5%B2%B8%E8%88%9E%E5%BD%A9

by 北海道大好き人間 (2011-11-11 13:00) 

北海道大好き人間

>ぶうさん
nice! どうも有難うございます。

by 北海道大好き人間 (2011-11-11 13:01) 

北海道大好き人間

>hrd さん
nice! どうも有難うございます。

by 北海道大好き人間 (2011-11-12 13:59) 

北海道大好き人間

>musslewhite さん
nice! どうも有難うございます。

by 北海道大好き人間 (2011-11-14 00:06) 

北海道大好き人間

>あゆさこさん
nice! どうも有難うございます。

by 北海道大好き人間 (2011-11-14 00:07) 

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